イントロダクション
昭和38年(1963年)6月20日、東京の料亭「なだ万」に、日本を代表する知識人や政治家、官僚を含む28名の人々が集められた。
彼らは皆、戦争の過酷な体験を胸に秘めながら戦後の日々を生きていた。
そしてこの日、およそ5時間にわたって彼ら一人一人が語り明かしていく戦争の記憶は、ポツダム宣言に対する日本政府の対応から、原爆の投下、ソ連の参戦、そして終戦へと至る過程で起きた出来事を、それぞれの当事者たちの心理状態も含めて、次々と露にしていった。
時の日本政府がもっと慎重に対処していれば、広島と長崎の惨劇を免れることができたのではないか? ソ連の参戦を阻止することもできたのではないか? しかし、では、なぜそれが出来なかったのか? 28人それぞれから発せられる発言の数々は、そうした謎に応えつつ、聞く者を改めて痛恨の想いへと誘っていく……。
彼らは皆、戦争の過酷な体験を胸に秘めながら戦後の日々を生きていた。
そしてこの日、およそ5時間にわたって彼ら一人一人が語り明かしていく戦争の記憶は、ポツダム宣言に対する日本政府の対応から、原爆の投下、ソ連の参戦、そして終戦へと至る過程で起きた出来事を、それぞれの当事者たちの心理状態も含めて、次々と露にしていった。
時の日本政府がもっと慎重に対処していれば、広島と長崎の惨劇を免れることができたのではないか? ソ連の参戦を阻止することもできたのではないか? しかし、では、なぜそれが出来なかったのか? 28人それぞれから発せられる発言の数々は、そうした謎に応えつつ、聞く者を改めて痛恨の想いへと誘っていく……。
この一大座談会“日本のいちばん長い日"は『文藝春秋』8月号に掲載されるや、水面下で繰り広げられていた終戦の舞台裏を明らかにしたものとして大きな反響を集め、やがてこれを基に当時司会を務めた半藤一利氏(当時33歳・文藝春秋社員)の筆で、終戦秘話を描いたドキュメント小説『日本のいちばん長い日』が昭和40年(1965年)に出版(当時は諸事情で“大宅壮一編"として出版。現在は半藤氏の名義で“決定版"が再刊行されている)。翌年には、これを原作とする東宝“8・15"シリーズ第1作『日本のいちばん長い日』(岡本喜八監督)が公開され、大ヒットとなった。
やがて時が過ぎた平成19年(2007年)、この座談会は半藤氏の解説を加えて『日本のいちばん長い夏』(文春新書)として改めて出版され、終戦の真実を後世に語り継ぐ貴重な資料として再評価されている。
やがて時が過ぎた平成19年(2007年)、この座談会は半藤氏の解説を加えて『日本のいちばん長い夏』(文春新書)として改めて出版され、終戦の真実を後世に語り継ぐ貴重な資料として再評価されている。
本作は、この座談会の再現を主軸にストーリーが展開していく。主人公はテレビ番組の演出家。彼は大胆にも、スタジオに建てられた料亭のセットに当代きっての文化知識人を一挙に集結させ、彼らを俳優として起用するという“文士劇"スタイルをもって当時の模様を再現しようと試みる。さらに彼は原作者でもある半藤氏や、集まった文化人たち個々にも撮影の合間を縫って取材を敢行し、それぞれの戦争観などを吐露させていく。
監督・脚本は映画『佐賀のがばいばあちゃん』を大ヒットさせ、日本中にブームを巻き起こした倉内均。戦後復員し、一度も戦争のことを語ることなくこの世を去った父への想いをこめて“日本のいちばん長い夏"を呼び起こし、その記憶を次世代へ受け継がせていく。
監督・脚本は映画『佐賀のがばいばあちゃん』を大ヒットさせ、日本中にブームを巻き起こした倉内均。戦後復員し、一度も戦争のことを語ることなくこの世を去った父への想いをこめて“日本のいちばん長い夏"を呼び起こし、その記憶を次世代へ受け継がせていく。
彼の分身ともいえる主人公の演出家=“私"に扮するのは名優・木場勝己。座談会司会の半藤氏を演じるのは『光の雨』『カナリア』など20世紀の日本を見据えた社会派問題作への出演も多い個性派・池内万作。そして座談会出席者を演じるべく一堂に会した文化著名人たち、その豪華な顔触れから醸し出される不可思議なリアリティは、単なる興味本位の域を優に越えた独特の映画的興奮として昇華され、画面から発散されている。
親から子へとバトンタッチされていくべき戦争の記憶。そのバトンは今、私たちの手にある…。
※文士劇…作家、劇評家、新聞記者、画家など、専門俳優以外の文人によって、演じられる演劇。
親から子へとバトンタッチされていくべき戦争の記憶。そのバトンは今、私たちの手にある…。
※文士劇…作家、劇評家、新聞記者、画家など、専門俳優以外の文人によって、演じられる演劇。
| 1月6日 | ルソン島の戦い開始。 |
| 2月4日 | クリミア半島ヤルタにて米英ソ首脳会談(~11日)。ソ連、対日参戦を確約。 |
| 2月18日 | 硫黄島の戦い開始。 |
| 3月10日 | 東京大空襲 |
| 3月22日 | 硫黄島陥落 |
| 4月1日 | 米軍、沖縄に上陸。 |
| 4月5日 | ソ連、翌年期限切れとなる日ソ中立条約を延長しないことを日本に通達。 |
| 4月7日 | 鈴木貫太郎内閣発足。 戦艦大和、沈没 |
| 4月12日 | 米ルーズベルト大統領急逝。副大統領のトルーマンが後を継ぐ。 |
| 4月30日 | 独ヒトラー総統自殺。 |
| 5月7日 | ドイツ無条件降伏 |
| 6月23日 | 沖縄陥落 |
| 7月16日 | アメリカ、原子爆弾の実験“マンハッタン計画"に成功。 |
| 7月25日 | 米トルーマン大統領、日本への原子爆弾投下命令を下す。 |
| 7月27日 | ベルリン郊外ポツダムにて米・英・中の3カ国によるポツダム宣言が発表され、日本に無条件降伏を勧告するも、日本は28日“黙殺"を決定。 |
| 8月6日 | 8時15分、米軍、広島に原子爆弾を投下。 |
| 8月8日 | 23時、ソ連軍、日ソ中立条約を破棄して日本へ宣戦布告し、翌9日未明より満州へ侵攻開始。 その後、ポツダム宣言に加わる。 |
| 8月9日 | 11時02分、米軍、長崎に原子爆弾を投下。 23時50分、御前会議が開催され、翌10日未明に“国体護持"を条件にポツダム宣言の受諾を決定し、アメリカへ通達。 |
| 8月11日 | ソ連軍、南樺太への本格的侵攻開始。 アメリカより回答。文面“subject to"の解釈をめぐって外務省と軍部が対立。 |
| 8月14日 | 御前会議の席で、昭和天皇の御聖断が再度下される。 |
| 8月15日 | 未明、一部陸軍将校によるクーデター“宮城事件"が起きるも、失敗に終わる。 12時、玉音放送にて全国にポツダム宣言の受諾を表明し、終戦の詔を伝える。日本、無条件降伏。 |
| 8月16日 | ソ連軍、日本の降伏後も南樺太侵攻を止めず。25日には樺太全土を占領。 |
| 9月4日 | ソ連軍、千島列島、歯舞諸島、色丹島を占領した後、侵攻を停止。 |



