日本のいちばん長い夏

キャスト・スタッフ

原作

◆ 半藤一利[編] 「日本のいちばん長い夏」 (文春新書)

監督・脚本

◆ 倉内均

1949年青森市生まれ。1988年、テレビ番組製作会社として㈱アマゾン(現アマゾンラテルナ)を設立し、以後テレビ作品を中心に数多くの映像作品を送り出している。テレビの代表作に、ドラマスペシャル『炎の料理人・北大路魯山人』(1987年日本テレビ/放送文化基金賞奨励賞・ギャラクシー賞奨励賞)、『ハイビジョスペシャル・大江戸繁盛記四谷怪談~恐怖という名の報酬~』(2003年NHK/ATP賞情報・バラエティ部門優秀賞)、『母とママと、私。―10年目の再会』(2007年テレビ朝日/ATP賞ドラマ部門優秀賞)まど多数。
また、89年には『冬物語』で映画監督デビュー。2006年に手掛けた島田洋七原作の映画『佐賀のがばいばあちゃん』は興収6億円のヒットとなり、第4回ベルリン・アジア太平洋映画祭グランプリを受賞。2010年4月より韓国の映画製作グループとの合弁会社㈱CJエンタテインメントジャパンの取締役も務めている。

現代:演出家

「戦後65年、戦争の記憶が失われようとしている今、彼らの生々しい言葉を、私の目と耳で再び聞こうと思う。息子や孫のためにも……」

◆ 木場勝己(俳優)

1949年12月30日、東京都生まれ。櫻社、斜光社、秘法零番館を経てT・P・T旗揚げに参加。その後も舞台を中心に映画、TVで幅広く活躍中。TVドラマ「3年B組金八先生」(第6&第7シーズン前半)の校長役も強い印象を与えた。映画の代表作に『午後の遺言状』(1994)『タイムレスメロディ』(2000)『ふくろう』(2004)『UDON』(2006)『曲がれ!スプーン』(2009)など。第10回読売演劇大賞最優秀男優賞(『太鼓たたいて笛ふいて』)第42回紀伊國屋演劇賞個人賞(『氷屋来る』『ロマンス』)受賞。
木場勝己

座談会:司会者

「今、この日を思い起こすのは、今度の戦争で死んだ310万人以上の同胞のことを忘れないためなのであります」

◆ 半藤一利(はんどうかずとし/作家/座談会当時は文藝春秋編集部員)

1930年、東京都生まれ。53年、東京大学卒業後、文藝春秋に入社し『週刊文春』『文藝春秋』編集長、専務取締役などを歴任。著書に『日本のいちばん長い日』『レイテ沖海戦』『清張さんと司馬さん』『昭和史』全2巻など多数。93年『漱石先生ぞな、もし』で第12回新田次郎文学賞、98年『ノモンハンの夏』で第7回山本七平賞を受賞。

◆ 池内万作(俳優)

1972年3月27日、東京都生まれ。95年『君を忘れない』の特攻隊員役で映画デビュー。以後、映画やドラマ、舞台と活躍。映画の代表作に『FLIRT』(97)『光の雨』(2001)『この世の外へ クラブ進駐軍』(2004)『カナリア』(2005)『獄に咲く花』(2010)『悪人』(2010年秋公開)など多数。
TVドラマ「こちら本池上署」シリーズ(2002~)の相馬役でもお茶の間に親しまれ、現在放送中のNHK大河ドラマ「龍馬伝」(2010)の三条実美役で注目を集めている。
池内万作

座談会:出席者

「率直に言って、ポツダム宣言というものを全然予期していませんでした。いわば、寝耳に水……」

◆ 迫水久常(さこみずひさつね/座談会当時は参議院議員)

1902年、鹿児島県生まれ。東大法学部卒業後、大蔵省に入省。終戦時は内閣書記官長(現在の官房長官)を務め、各所との折衝にあたる激務をこなしていた。戦後、公職追放となるが、その解除とともに政界入り。池田内閣で経済企画庁長官、郵政大臣を務めた。77年、74歳で死去。

◆ 湯浅卓(ゆあさたかし/国際弁護士)

1955年11月24日、東京生まれ。麻布学園中学・高校を経て、東大法学部を卒業後、UCLA、コロンビア及びハーバードの各法律大学院に学ぶ。長年、ウォール街及びワシントンD.C.において活躍し、専門はウォール街の銀行法及びIT法。著作及び論稿多数。編訳に「新訳・怪談」(PHP新書)がある。日本では独特なパフォーマンスを披露するタレントとしてTV出演も多数。
湯浅卓
「日本中が焼け野原になって、戦争の先が見えている。にもかかわらず、ポツダム宣言をあっさり受諾というわけにはいかなかった 」

◆ 松本俊一(まつもとしゅんいち/座談会当時は衆議院議員)

1897年、広島県生まれ。東大法学部卒業後、外務省に入省。戦中は駐仏印大使としてサイゴンにいたが、鈴木内閣組閣時に呼び戻され、終戦時は外務次官として東郷外相を補佐。戦後は公職追放解除後に駐英大使を経て55年の総選挙で当選。日ソ交渉全権委員として復交交渉に携わった。87年、89歳で死去。

◆ 中村伊知哉(なかむらいちや/慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授)

1961年3月19日、京都府生まれ。京都大学経済学部卒。博士(政策・メディア)。84年、ロックバンド『少年ナイフ』ディレクターから郵政省に入省し、インターネット政策を政府で最初に担当。退官後はMITメディアラボ客員教授、スタンフォード日本センター研究所長を経て2006年、慶應大学教授に就任。デジタルメディアにまつわる政府や民間の活動に参与し続けている。
中村伊知哉
「私も当時任地にいて、そう感じました。これはソ連が参戦してくるなって」

◆ 岡本季正(おかもとすえまさ/座談会当時は国際文化振興会常務理事)

1892年、東京生まれ。東大法学部卒業の翌年に外交官試験に合格し、英国や米国などに勤務。終戦時は駐スウェーデン公使で、小磯内閣末期にスウェーデン政府を通じて和平交渉にあたろうとしたが、鈴木内閣に代わってから東郷外相に打ち切られた。戦後52年からオランダ大使。退官後は日本ユネスコ国内委員会委員などを務めた。67年、75歳で死去。

◆ 青島健太(あおしまけんた/スポーツライター)

1958年4月7日、新潟県生まれ。埼玉・春日部高校から慶應義塾大学、東芝を経て85年1月ドラフト外でヤクルトスワローズに入団。89年に現役引退。オーストラリアで日本語教師を務めた後、帰国後スポーツジャーナリストへ転向。新聞・雑誌・ウエブでの執筆の他、テレビ・ラジオでも活躍中。現在、鹿屋体育大学、流通経済大学、日本医療科学大学の客員教授も務めている。
青島健太
「“黙殺"という言葉は外国で非常に強く受け取られたでしょうが、国内においては当時ギリギリのところでしたでしょうね」

◆ 吉武信(よしたけまこと/座談会当時は朝日新聞論説委員)

1909年、福岡県生まれ。東大経済学部卒業後、朝日新聞社に入社。終戦時は朝日新聞政治部・首相官邸記者クラブデスクを務め、7月28日ポツダム宣言を受けての鈴木首相の記者会見や、8月14日御前会議における終戦の聖断を告げる記者会見にも出席した。67年に退社した後はNHK経営委員、尾崎行雄記念財団理事などを歴任した。96年、87歳で死去。

◆ 小田豊(おだゆたか/俳優)

1945年3月20日、長崎県生まれ。71年に早稲田小劇場に入団し、『トロイアの女』をはじめとする鈴木忠志構成・演出作品に出演、海外公演にも参加。主な出演舞台作品にNODA・MAP「キル」(1994)、遊園地再生事業団「モーターサイクル・ドン・キホーテ」(2006)、彩の国シェイクスピアシリーズ「コリオレイナス」(2007)などがある。映画出演には『ブリュレ』(2008)『シャーリーの好色人生と転落人生』『パンドラの匣』(2009)などがある。

「初めからソ連が聞くわけがない。スターリンは日本が参るのを見通して、それを待っていたのです」

◆ 佐藤尚武(さとうなおたけ/座談会当時は参議院議員)

1882年、大阪府生まれ。東京高等商業(現・一橋大学)中退後、外務省に入省。42年より駐ソ連大使となり、終戦直前は政府の指令する対ソ和平工作に苦慮した。8月8日23時(日本時間)、ソ連の対日宣戦布告を受け、すぐ日本に連絡しようとしたが果たせず、そのまま抑留。46年に帰還し、翌年に政界入りを果たした。71年、89歳で死去。

◆ 山本清(やまもときよし/俳優)

1933年10月8日、神奈川県生まれ。映画出演に『赤坂の姉妹 夜の肌』(60)『天国と地獄』(63)『日本の青春』(68)『激動の昭和史 沖縄決戦』(71)『新幹線大爆破』(75)『駅STATION』(81)『大日本帝国』(82)『ゴジラ』(84)『吉原炎上』(87)『誘拐』(97)『金融腐蝕列島〔呪縛〕』(99)など多数のベテラン。テレビドラマでは時代劇出演が多い。

「私は今でも不思議に思っているのですが、対ソ和平工作というのが上手くいくと、政府は本気で考えていたのですか?」

◆ 富岡定俊(とみおかさだとし/座談会当時は史料調査会理事)

1897年、長野県生まれ。海軍兵学校、海軍大学校卒業後、ジュネーブ軍縮会議随員を務める。戦中は南東方面艦隊参謀長としてラバウルにいたが、44年11月に軍令部へ異動。このとき終戦の匂いをかぎ取ったという。終戦時は海軍少将・軍令部作戦第一部長。9月2日ミズーリ艦上の降伏調印式にも同行した。戦後は復員省史実調査部長の任に。70年、73歳で死去。

◆ 早川純一(はやかわじゅんいち/俳優)

1936年3月27日、東京生まれ。60年に劇団俳優座養成所に9期生として入所し、舞台、映画、ドラマ、声優と幅広く活躍。映画出演に『明日また生きる』(70)『化石』(75)『雲霧仁左衛門』(78)『二百三高地』(80)『優駿 ORACION』(88)『誘拐』(97)『プライド 運命の瞬間』(98)『HAZAN』(2003)『バベル』(2006)『陰獣』(2008)など多数。

「日本は負けてなくても、前線の兵隊はとっくに負けている。僕なんかも、フィリピンで捕虜になる前はそうでしたもの」

◆ 大岡昇平(おおおかしょうへい/座談会当時は作家)

1909年、東京生まれ。京大仏文科卒業後、サラリーマン勤務の傍ら、雑誌に書評や論文などを発表。44年、35歳で召集され、陸軍一等兵としてフィリピン戦線に赴くも、翌45年1月に米軍の捕虜となり、そのまま終戦を迎える。48年『俘虜記』で横光賞を受賞。その後の代表作に『武蔵野夫人』『野火』『レイテ戦記』『事件』など多数。88年、79歳で死去。

◆ 林望(作家・日本文学者)

1949年、東京生まれ。慶應義塾大学卒、同大学院博士課程修了。ケンブリッジ大学客員教授、東京藝術大学助教授等を歴任。「イギリスはおいしい」で日本エッセイスト・クラブ賞、「ケンブリッジ大学所蔵和漢古書総合目録」で国際交流奨励賞、「林望のイギリス観察辞典」で講談社エッセイ賞を受賞。学術論文、エッセイ、小説の他、歌曲の詩作、能、自動車、古典文学等幅広く執筆し著書多数。最新刊『謹訳源氏物語』(祥伝社 6月16日第三巻刊行予定)。
林望
「私なぞラバウルにおいてけぼりを喰って、中央のことは何も知らなかったのですが、とかく中央は、現地を考えず無理な命令を出しますからね」

◆ 今村均(いまむらひとし/座談会当時は旧陸軍軍人親睦団体・偕行社理事長)

1886年、宮城県生まれ。陸軍生活40年、終戦時は陸軍大将・第八方面軍司令官としてラバウルに赴任していた。戦後、オーストラリア軍の裁判で死刑にされかけたが、占領地での軍政とその指導力を讃える現地住民の証言などを得て、禁錮10年に。54年に巣鴨拘置所から出所するも、彼はその独房と同じ作りの三畳間の小屋を作り、そこに蟄居した。68年、82歳で死去。

◆ 富野由悠季(アニメ映画監督)

1941年11月5日、神奈川県生まれ。日大芸術学部卒業後、64年に虫プロに入社して『鉄腕アトム』など日本のテレビアニメ草創期から関わり、79年に総監督を務めた『機動戦士ガンダム』で一大ブームを巻き起こし、その後も新作を発表するたびに各界の注目を集め、若手クリエイターたちにも多大な影響を与え続けている。小説家・作詞家としても活動。
富野由悠季

「外務省は対ソ工作を信じてなかった、と言いましたが、陸軍だって信じてませんでしたよ」

◆ 荒尾興功(あらおおきかつ/座談会当時はトヨペット・コーナー常務)

1902年、高知県生まれ。陸軍大学校卒業後、30年代後半から常に陸軍中枢の要職にあり続けた。終戦当時は陸軍大佐・陸軍省軍事課長。8月13日の夜、阿南陸相にクーデター計画実行の許可を求めるも拒絶され(映画『日本のいちばん長い日』の演者は玉川伊佐男)、それ以降は阿南の意向に従い、戦後も彼の遺言通り復員の手配に尽力した。74年、72歳で死去。

◆ 重松収(しげまつおさむ/俳優)

1949年4月12日、大阪府生まれ。映画出演に『ホワイトアウト』(2000)『狗神』(2001)『ロスト・イン・トランスレーション』(2003)『ミッドナイトイーグル』(2007)『アキレスと亀』(2009)『花のあと』(2010)など多数。松田優作・主演のテレビドラマ「探偵物語」(79~80)のダンディー役でも知られる。また、舞台や声優としても活躍。

「9日の朝、私は総理に呼ばれましてね。行ったら、『ソ連が参戦したが、関東軍は大丈夫か?』とても大丈夫じゃありません……」

◆ 池田純久(いけだすみひさ/座談会当時は松竹株式会社顧問、歌舞伎座サービス会社会長)

1894年、大分県生まれ。陸軍士官学校、陸軍大学校、東大経済学部で学び、40年には奉天特務機関長として満州に赴き、42年に関東軍参謀副長となるが、45年7月に鈴木内閣に呼び戻される。終戦時は陸軍中将・内閣総合計画局長官。8月14日の御前会議出席者23名のひとり。極東軍事裁判では元参謀総長・梅津美治郎の弁護人を務めた。68年、73歳で死去。

◆ 鳥越俊太郎(とりごえしゅんたろう/ジャーナリスト)

1940年3月13日、福岡県生まれ。京都大学文学部卒業後の65年、毎日新聞社に入社し、社会部、外信部(テヘラン特派員)を経て、88年『サンデー毎日』編集長に就任。89年に退社し、キャスターとして、テレビ朝日『ザ・スクープ』『スーパーモーニング』をはじめ、常にジャーナリズムの第一線に立って多彩な活動を展開し続けている。2001年「日本記者クラブ賞」を受賞。2009年よりNPO法人がん患者団体支援機構理事長に就任。
鳥越俊太郎
「駄目と承知で仲裁を当てにしていたとは、日本も救われないはずですな」

◆ 徳川夢声(とくがわむせい/座談会当時は俳優・文筆家)

1894年、島根県生まれ。活動弁士の職を経て、漫談師、俳優に転身。戦時中は占領下各地の慰問興行にも参加し、戦後も日本の元祖マルチ・タレント的存在として幅広く活躍した。文筆にも才を発揮し、特に彼が記し続けた日記は、後に抜粋されて『夢声戦争日記』として出版。それは戦時下の庶民生活の貴重な資料ともなっている。71年、77歳で死去。

◆ 立川らく朝(たてかわらくちょう/医師・落語家)

1954年1月26日、長野県生まれ。杏林大学医学部を卒業して内科医となるも、落語家になる夢を捨て切れず、46歳にして立川志らくに入門、プロの落語家となる。50歳で立川流家元・立川談志に認められて二つ目に昇進。現在は落語家と表参道福澤クリニック院長、二足の草鞋で「笑いと共に楽しく健康情報を提供する」をコンセプトにした健康落語や講演、執筆などで活動中。
立川らく朝
「東京だけじゃなく、ポツダム宣言があった頃はほとんど日本全土がやられていました」

◆ 有馬頼義(ありまよりちか/座談会当時は作家)

1918年、東京生まれ。第1次近衛内閣の農林相で伯爵の有馬頼寧の三男。終戦時は同盟通信社社会部記者を務めていた。戦後は父が戦犯逮捕されて無一文となるも、54年に短篇集『終身未決囚』で第31回直木賞を受賞。松本清張と並ぶ社会派推理小説の双璧とも称された。『貴三郎一代』は『兵隊やくざ』として映画化されている。80年、62歳で死去。

◆ 島田雅彦(小説家)

1961年3月13日、東京生まれ。東京外国語大学ロシア語学科在学中の83年『優しいサヨクのための嬉遊曲』でデビューして芥川賞候補、84年『夢遊王国のための音楽』で野間文芸新人賞を受賞。以後、小説に戯曲、オペラ、詩のボクシングと活動の幅を広め、2006年『退廃姉妹』で伊藤整文学賞、2008年『カオスの娘』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。
島田雅彦
「監獄の中から日本の動きを見てたわけですが、実に不思議なことに、いわゆる流言蜚語の類は入ってこないんです。真実だけが伝わってくるんです」

◆ 志賀義雄(しがよしお/座談会当時は日本共産党幹部・衆議院議員)

1901年、福岡県生まれ。東大入学の翌年に共産党へ入党。28年に治安維持法違反で検挙され、非転向のまま41年に満期となるも、そのまま終戦まで府中刑務所内予防拘禁所に置かれる。45年10月、占領軍によって解放。翌46年、衆議院議員に当選し、以降6回選出された。47年には徳田球一との共著『獄中十八年』を出版。89年、88歳で死去。

◆ 田原総一朗(たはらそういちろう/ジャーナリスト)

1934年4月15日、滋賀県生まれ。岩波映画を経て64年の東京12チャンネル(現・テレビ東京) 開局と共に入社し、『ドキュメンタリー青春!』など伝説の番組を多数演出。77年よりフリーとなり、テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』(現在放送中)、『サンデープロジェクト』(2010年3月終了)でジャーナリズムの新たな地平を拓く。雑誌『オフレコ!』責任編集長としても活躍。
田原総一朗
「ポツダム宣言をめぐる外国のやり方とか国内の動きなどが、放送局にいるとよくわかるのですよ」

◆ 館野守男(たてのもりお/座談会当時はNHKアナウンサー)

1914年、茨城県生まれ。東大卒業後、NHKに入局。日米開戦の第一報を国民に告げたアナウンサーが彼である。8月15日早朝、叛乱将校に局を包囲され、スタジオ内で銃口を突き付けられたときも、彼はひるまなかった。65年には放送世論調査所長を歴任。2002年、87歳で死去。

◆ 瀬川菊之丞(せがわきくのじょう/俳優・歌舞伎役者)

1957年2月15日、大阪府生まれ。サラリーマンを経て劇団前進座附属養成所9期生となり、山村邦次郎の名で78年の舞台『奥州白石噺』でデビュー。1985年10月『巷談小夜きぬた』新吉役で文化庁芸術祭賞を受賞。2001年5月『菅原伝授手習鑑』(寺子屋)千代役にて七代目瀬川菊之丞を襲名。女形と立役の両方を兼ねる。2009年8月退座。現在NACセグンド ソルに所属、テレビドラマNHK連続テレビ小説「ウェルかめ」(2010)などに出演。

「ただ、『目の前で仲間がやられると敵愾心が起こる』と、ある友人が言っていましたが」

◆ 村上兵衛(むらかみひょうえ/座談会当時は評論家)

1923年、島根県生まれ。陸軍士官学校卒業後、近衛歩兵連隊へ入隊し、連隊旗手の任に就く。終戦時は陸軍中尉・陸軍士官学校の教官として長野県に赴任しており、そこで玉音放送を聞いた。戦後の50年、東大独文科を卒業し、56年の『中央公論』誌に「戦中派はこう考える」「天皇の戦争責任」を発表し、論壇デビューを果たした。2003年、79歳で死去。

◆ 市川森一(いちかわしんいち/脚本家)

1941年4月17日、長崎県生まれ。日大芸術学部卒。代表作「ウルトラセブン」、「傷だらけの天使」、大河ドラマ「黄金の日日」「山河燃ゆ」「花の乱」。「淋しいのはお前だけじゃない」(第1回向田邦子賞)、「もどり橋」(芸術選奨文部大臣賞)、映画「異人たちとの夏」(日本アカデミー賞最優秀脚本賞)、NHK放送文化賞。紫綬褒章授章。
市川森一
「自分の手でやっていた対ソ工作が失敗し、閣議が分裂というのでは普通総辞職するのが当たり前なのですが、親父はそれをしなかった。それは自分の手で戦争を終わらせるのだと決心していたからだと思うのです」

◆ 鈴木一(すずきはじめ/座談会当時は日本中央競馬会顧問)

1901年、東京まれ。鈴木貫太郎の長男で、東大法学部卒業後、農商省に入省。45年4月、父に組閣の命が下るや、山林局長のポストを捨てて総理の秘書官=ボディガードになることを決意。8月15日早朝、国民神風隊が襲来したとき、その直前に首相夫妻を連れて脱出した。戦後は侍従次長などを経て日本中央競馬会副理事長を務めた。93年、91歳で死去。

◆ 松永英晃(まつながひであき/俳優・演出家・声優)

1948年9月7日、東京生まれ。75年の映画『青春散歌・置けない日々』でデビュー。以後、映画『ラヴァーズ・キス』(2002)『同窓会』(2008)、ドラマ『相棒』第1・4シーズン(2002・2005)、舞台『人類館』(95)などそれぞれ多数出演。アニメや洋画の声優、ナレーターとしても著名で、現在はスターダス・21プロダクション声優・タレント養成所所長も務めている。

「あの時期に命を賭する覚悟は、誰しも出来ていたのではないかと思います。後は死に方の問題です」

◆ 上山春平(うえやましゅんぺい/座談会当時は京都大学人文研助教授)

1921年、台湾生まれ。京都大学哲学科に進むも44年9月、卒業を半年繰り上げられて海軍へ入隊。回天特別攻撃隊に属し、6月と8月に出撃するも、共にアクシデントで生還。戦後は同大学に戻り、68年から人文研教授、現在は名誉教授。京都国立博物館館長も務めた。61年には戦後の戦争史観を批判した『大東亜戦争の思想史的意義』を発表。健在。

◆ 山本益博(やまもとますひろ/料理評論家)

1948年4月11日、東京生まれ。早稲田大学の卒業論文「さよなら名人藝」が出版された後、小沢昭一の「新しい芸能研究室」で季刊「芸能東西」の編集室長を務めながら、落語評論などを展開。80年の著書『笑いのアンコール』(80)で落語評論家を宣言。82年、『東京・味のグランプリ200』を出版し、料理評論家としても確立。2001年にはフランス政府より農事功労勲章シュヴァリエを受勲。さらに現在はスポーツ、音楽評論の分野でも活動。
山本益博
「僕のビルマは、それはひどい状態でした……」

◆ 会田雄次(あいだゆうじ/座談会当時は京都大学人文研助教授)

1916年、京都府生まれ。京都大学史学科を卒業し、43年の夏、龍谷大学予科講師に就いていたときに召集。ビルマ戦線にて地獄の日々を過ごす。終戦時は陸軍上等兵。戦後は英国軍の捕虜となり、ラングーンの収容所で強制労働に服せられ、47年に帰還、62年に『アーロン収容所』を著した。79年、京大を定年退官し、名誉教授となる。97年、81歳で死去。

◆ 江川達也(えがわたつや/漫画家)

1961年3月8日、愛知県生まれ。83年、名古屋市立の中学数学教師となるも漫画家になるため半年で退職。84年『BE FREE!』で漫画家デビュー。代表作に『まじかる☆タルるートくん』『東京大学物語』『GOLDEN BOY』など多数。ワイドショーのコメンテーターやバラエティ番組への出演など、タレントとしての活動も旺盛に行っている。
江川達也
「僕のいた小豆島は別天地でしてね。空襲はなくて、呑気なものでした」

◆ 岡部冬彦(おかべふゆひこ/座談会当時は漫画家)

1922年、東京生まれ。43年、学徒出陣でフィリピンのセブ島に駐留。その後小豆島に赴任するも共に戦闘とは無縁という、奇跡的なまでの戦時下生活を体験。終戦時は陸軍見習士官。戦後はライオン歯磨宣伝部を経て漫画家デビューし、61年『アッちゃん』『ベビー・ギャング』で文藝春秋漫画賞を受賞。2005年、82歳で死去。長男は軍事評論家の岡部いさく。

◆ 武藤兼治(むとうけんじ/俳優)

1964年3月1日、茨城県生まれ。88年、文学座附属研究所に入所し、92年劇団民藝に入団。舞台俳優としての活動を主とし、『吉野の盗賊』(92)『星の牧場』(94)『研師源六』(95)『帯に短し』『走れメロス』(96)『根岸庵律女』(97)『静かな落日』(2001)『喜劇の殿さん』(2006)『沖縄』『坐漁荘の人びと』(2007)『天国に一番近い部屋』(2009)などに出演。

「戦争終わり、ワタシ身体が変になりました。喜んでいいのか……。急に下士官が来ました。『ブッシュ大尉、戦争終わり。これから私、あなたの捕虜』……」

◆ ルイス・ブッシュ(Lewis William Bush/座談会当時はNHK勤務)

1907年、ロンドン生まれ。仏教と日本史研究のため、24歳で来日。40年に帰国して英国海軍へ入隊するが、日米開戦の日、香港に滞在していたことから日本軍の捕虜となり、43年に日本へ移送。終戦は横浜の収容所で迎え、その夜は銭湯に行き、一般市民と一緒に湯に浸かった。56年からNHK国際局報道部に勤務し、67歳で帰国。87年、79歳で死去。

◆ デイヴィッド・ディヒーリ(David d'Heilly/ジャーナリスト)

88年に初来日して以来、東京を拠点に国際的アクティヴィストとしての活動を開始。映像作家として紛争中のユーゴの各地方の独立系ラジオ局などを取材した97年のTVドキュメンタリー『メディア都市旅行』全6回の演出や、キューレーター、翻訳家、東京芸術大学講師など、さまざまな顔を持つ。2005年よりジャパン・ソサエティ(NY)日米交流プログラムも担当。現在、「東京の都市化」についての本を執筆中。

「放送を聞いて2、3時間もしたらあっちこっちで『万歳!』『万歳!』とやっているわけですよ。泣きながら『よく負けてくれた!』というようなことを言う奴もいる」

◆ 池部良(いけべりょう/俳優)

1916年、東京生まれ。41年に東宝映画文芸部に入社するも、島津保次郎監督に見出されて俳優デビュー。翌42年に応召され、44年には輸送船が撃沈されるが九死に一生を得て、終戦までハルマヘラ島に駐留した。終戦時は陸軍中尉。46年に帰還した後は、日本映画界のトップ・スターとして活躍。58年には南方転戦記『オレとボク』を発表している。健在。

◆ 柚原旬(ゆずはらしゅん/俳優)

1963年12月9日、東京生まれ。ジャパンアクションクラブ出身で、旧芸名は佐々木竜馬。「電脳警察サイバーコップ」(88~89)のマーキュリー、「五星戦隊ダイレンジャー」(93~94)の子竜中尉など人気特撮ドラマの出演でも知られる。テレビ朝日系“土曜ワイド劇場”人気シリーズ「新・赤かぶ検事奮戦記」(99~2005)にも西山刑事役でレギュラー出演。

「その日、私はひげを剃りましてね。これは哀しかった。そしてその22日、魚雷を全部太平洋の千尋の底に向けて発射した。武装解除されることなんか潔しとしなかったのです」

◆ 南部伸清(なんぶのぶきよ/座談会当時は防衛庁統合幕僚学校副校長)

1911年、石川県生まれ。海軍兵学校を卒業し、終戦時は“潜水空母”とも呼ばれた潜水艦伊号第401の艦長・海軍少佐としてポナペ島南方100マイルの海上におり、8月26日に全ての武器・弾薬・飛行機・魚雷を海中に投棄して、30日に横須賀港へ帰港した。戦後は海上保安庁、海上自衛隊に勤務。著書に『米機動艦隊を奇襲せよ!』がある。健在。

◆ 加納竜(かのうりゅう/俳優)

1956年3月26日、広島県生まれ。75年に歌手デビューして人気を博すが、映画『愛と誠 完結編』(76)に主演したのを機に、俳優業へ移行する。映画出演に『青春の構図』(76)『片翼だけの天使』(86)『ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY』(2000)など。ドラマ、オリジナルビデオ出演も多数。2006年には舞台『IMAGINE 9.11』に出演。

「そういう頼りなさを紛らわすために、よく歌を歌った。この歌なぞは、随分僕を慰めてくれましたが……こういう歌です」

◆ 扇谷正造(おうぎやしょうぞう/座談会当時は朝日新聞学芸部部長)

1913年、宮城県生まれ。・東大国史学科卒業後、朝日新聞社に入社し、社会部記者、マニラ特派員などを務めるが、44年に応召。中国・桂林での激戦を経て、45年7月にようやく漢口へ脱出する。終戦の詔勅が伝えられたのは8月20日頃だったという。戦後は47年より『週刊朝日』編集長に就任。53年に第1回菊池寛賞を受賞した。92年、79歳で死去。

◆ 松平定知(まつだいらさだとも/アナウンサー)

1944年11月生まれ。早稲田大学卒業後、69年NHK入局。アナウンサーとして「連想ゲーム」を4年、「ニュース」を15年、「その時歴史が動いた」を9年ほか、「世紀を超えて」「新シルクロード」「マネー資本主義」などのNHKスペシャルは100本以上を担当。07年退職後、現在は「世界遺産100」とラジオで「藤澤周平作品朗読」などを担当している。早稲田大学大学院客員教授。
松平定知
「軍についていったお友達は、ほとんど全員が死んでしまいました。もう弾丸なんか怖くありませんでしたが、さすがに寂しくなって、二人で抱き合って泣いてばかりいました」

◆ 楠政子(くすのきまさこ/座談会当時は主婦)

1928年、沖縄県生まれ。45年3月、県立第二高等女学校在学中に動員され、野戦病院看護婦“白梅部隊”として第二十四師団に編入。前線の過酷な光景を目の当たりにした末、5月下旬に解散命令。その後、更なる地獄が彼女たちを待ち受けていた……。戦後、彼女が記した『沖縄戦従軍記』は『昭和戦争文学全集11 戦時下のハイティーン』に収録。健在。

◆ キムラ緑子(きむらみどりこ/女優)

兵庫県淡路島出身、1984年に劇団M.O.P.の旗揚げに参加、以後、看板女優として活躍し、今夏の「さらば、八月の歌」が劇団解散公演となる。97年「秋の歌」で紀伊國屋演劇賞個人賞、04年「偶然の男」「ヒトノカケラ」で読売演劇大賞優秀女優賞受賞。映画は90年の『極道の妻たち~最後の戦い』で初出演。代表作に『パッチギ!』(05)『真木栗ノ穴』(08)『おとうと』(10)がある。
キムラ緑子

[その他の出席者]
●篠田英之介(しのだえいのすけ/座談会当時:NHK広報室副主管)
●江上波夫(えがみなみお/座談会当時:東京大学東洋文化研究所教授)
●酒巻和男(さかまきかずお/座談会当時:トヨタ自動車輸出課長)
●入江相政(いりえすけまさ/座談会当時:侍従)

●吉田茂(よしだしげる/座談会当時:元首相)※誌上参加
●町村金五(まちむらきんご/座談会当時:北海道知事)※誌上参加
※昭和38年当時の座談会出席者略歴出典:『日本のいちばん長い夏』(文春新書)